• だしと私 2021.03.09

vol.30 「アヒルストア」店主 齊藤輝彦さん

多忙な生活を支えるのは、朝ごはんの味噌汁

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東京、富ヶ谷の街角に佇むアヒルストアは、ナチュラルワインと手作りの料理を提供するカジュアルなワイン酒場。小さなお店ですが、東京のみならず日本中、海外からもひっきりなしに人が訪れる人気店です。その理由は、ここだけでしか味わえないものがあるから。それは家族で作る心のこもった料理だったり、小皿の潔い盛り付けだったり、その料理とぴったりのおいしいワインだったり、にぎやかで居心地のいい活気だったり、またはそのすべてだったりするかもしれません。そんなアヒルストアを営むのが、今回お話しをうかがった齊藤輝彦さんです。

アヒルストアはビストロのようであってフランス料理だけでもなく、ワインバーのようであって料理もメインという独特のスタイル。そこには、齊藤さんがリスペクトしている大衆酒場という文化が関係しているよう。

「コロナで15時オープンと営業時間が早くなってから、よりいっそうその雰囲気が強くなったかもしれないですね。最初は自家製パンとパテドカンパーニュとかリエットみたいな、ワインに合うビストロ的な料理を出していたんですよ。でも今は、ラム肉のつくねをのせた生ピーマンとか(笑)。おいしい生のピーマンを食べてもらいたくて考えたメニューです」

アヒルストアらしさを感じるメニューですが、こんなメニューが登場したのはつい最近のこと。

「それまでは、お客さんの期待に応えなきゃという気持ちが強かったのかも。だって1ヶ月前から予約してくれて、遠方からはるばる来てくれるというお客さんに、生ピーマンとか出せなかったんですよ。でも、今後コロナが収束したとしてもオープン時間はこれでいこうと決めて、予約もいっさいとらないことにしたら、腹がくくれたというか、やりたいことを気にせずやれるようになりました」

それは、以前ならシュークルートを頼むと、メインにもなるようにソーセージやベーコンとポテトなどを盛り合わせていたけれど、今は単品で400円という"大衆酒場"的スタイルへの変化。

「ボクシングで言うと、2階級くらい下げてストリートファイトしよう、みたいな感覚。店側と客側の間に何の契約関係もなく、合うか合わないかというフィーリングがすべての世界。清々しさすら感じています」

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料理は言ってみれば無国籍ですが、鰹や昆布でとった和風のだしを使うことはほとんどないとか。

「昔、魚介を柑橘でマリネした後に和風のだしでのばした風変わりなセビーチェを出していたことはありますが、基本的にはだしは使わずに水と素材のみ。それは、情報量の少ない軽い味にしたいから。どうしても必要な場合は、鶏胸肉からとったダシやボイルハムの茹で汁をつかっています」

夏には1ヶ月の夏休みをとるアヒルストア。コロナより前は、その休み中に齊藤さんが旅した国がどこだったのか、そしてそこからどんな料理が生まれるのかということが、ファンのあいだでの注目の的でした。

「いつの頃からか、夏休みには旅に出て、その成果としての料理を出すということになっていったけれど、もともと旅の目的は料理のアイデアを探すことではなかったんです。単に行きたかったタイのチェンマイで、サイウアを食べたらおいしくて、帰国してから作り方を調べて作ってみたのが最初です。それまでもソーセージは自家製だったから、ちょっとアレンジしただけ。でもタイ料理をワインを出す店で出していいのかな?と思って、メインのメニューを書く黒板ではなく、横に小さな黒板を置いて、『チェンマイ帰りのマスターが突如放つソーセージ!生キャベツ付き』とか書いて、イロモノとして打ち出したんです」

これが予想外に大ヒット。

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「みんな普通にオーダーしてくれて、自分の心配は杞憂で、お客さんのレベルは想像よりもはるかに高いんだなと。改めて、富ヶ谷という土地の懐の深さを感じました。この物件を借りる時から思っていたけど、この場所ならなにをやっても大丈夫、世界に届く場所なんだなって、あらためて感じました」

実はこの場所を選んだのは、アヒルストアをオープンする前に営んでいた弁当屋台での経験から。

「大学では建築を専攻して、デザインもやりたいなーなんて思っていたけれど、就職難の時代で普通に卒業しても建築事務所には就職できなかった。それで設計事務所で内装の仕事をしていました。その頃はちょうどカフェブームで、捨ててあるような椅子を拾ってきて、好きな音楽をかけて、カフェやりたいなーなんて甘い夢も抱いていましたね。今思うと、いつか飲食店とふんわり考えていたのかも」

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それは『美味しんぼ』という漫画の影響もあるのだとか。

「『美味しんぼ』って、食の本質を描いているんですよね。子どもの頃から愛読していたから、飲食はすごいっていう思いが自分のベースにあった。それで1人で屋台でお弁当を売るようになったんです。アジア料理を毎日60〜70食作って販売していました。料理も販売も自分。化学調味料も使わず真面目にやってたのは、やっぱり『美味しんぼ』がベースだから(笑)」

想像を絶する大変な仕事でしたが、その面白さも感じていた齊藤さん。このスター食堂という屋台時代に、いつか自分の店を持つための資金を貯えていたのです。

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「2年半屋台をやってお金は貯まったけど、逆に飲食の難しさも痛感した。自分には何ができるんだろう?お金があってもダメだな、と考えるようになりました。ならばこのお金を使っておいしいものを食べたり、何を打ち出したらお客さんが来てくれるかを考えたりしようと。その勉強期間を2年と決めて、ワインショップでアルバイトを始めました。一緒に店をやろうと話していた妹も、『じゃあ、私も2年間でパンを覚えてくる!』ってパン屋さんで修行を始めて」

2年間という期間も、齊藤さん独自の考え方によるもの。

「それまで3年以上同じ仕事を続けたことがなくて、2年半くらいでやめてきた経験から、2年めから自分らしく仕事ができるようになり、3年目になると任せられるということがわかっていました。ならば勉強期間は1年だとやっと覚えたばかりだな、3年だと長いな、と。もちろん3年間ではすべてを学べるわけもないけれど、10覚えてから独立しようと思っても、絶対にできないんです。だって、7くらいまで覚えると、最初に思ってた7ではなくて、それが5くらいに感じるものだから。だったら、2、3しか知らないけど、その玉を全力で投げるのがいいと思った。そのうちに4、5が覚えられるだろうと。その分、全力で投げたら、それがちゃんと響くような場所であることも重要だと思いました」

妹とお店を出すために地元に帰るという選択肢もあったかもしれないけれど、齊藤さんが考えたのはスター食堂時代に馴染んでいた富ヶ谷。

「富ヶ谷は自分みたいな素人に毛が生えた程度の人間でも、一生懸命表現したら面白いじゃんって評価してくれる土地だと思ったんです。ただし一度始めたらずっと続けるしかないから、疲れたからやめる、休むっていうのはしたくない。長く続けるために、1年に1度はちゃんとした休みを取ると決めました」

そこで年に1度の夏休みのたびに海外へ旅をし、新しい国に行けば自分に響いたものを自分なりに解釈して料理をするということに。

「でも海外旅行ができなかった昨年も、おそらく難しそうな今年も、行けないからといってがっかりするよりわけでもないんです。それよりも、海外に行くことだけが旅ではない。近所の焼き鳥屋さんでだって、ぎょっとするような食に対する刺激を受けることがある。自分にとっては旅=外食、外食さえしてれば学び続けられるんだと思います」

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いつも人をリラックスさせるような、やわらかな雰囲気で出迎えてくれる齊藤さんですが、その日常は頭をフル回転させて駆け抜ける多忙さ。

「空腹時のほうが買い出しにも料理にも集中できるから、朝食も食べていなかったんです。そのままオープン直前まで仕込みして、オープンしたら食べる時間なんてない。それで営業後にラーメンなんかをがっつり食べてたんですよね。だけど、それでは10年後にフルで働けないと感じるようになって、今年からパーソナルトレーニングに行き始めました。まずは食事を見直そうということで、今は毎日、食べたものを撮って指導してもらっています」

そこで『朝ごはんが肝心』というアドバイスを受け、鰹と昆布でだしをとるようになったのだそう。

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「朝ごはんは、味噌汁に白米を少し。おかずは、ささみやたこ、赤身のハムを海苔で巻いて食べるんです。めちゃくちゃ旨いですよ。特にちゃんとだしをとった味噌汁っておいしくて。最後に味噌汁を飲むことによる幸せ感によって、朝ごはんを食べるのが幸せだと感じるようになりました。朝ちゃんと食べると心が満たされるのか、ジャンクフード食べたいなんていう欲がなくなります」

だしは昆布と鰹節から、2〜3日分をまとめてとっているのだとか。

「最近は築地にある吹田商店の羅臼昆布と、松村の鰹節を使っています。以前は利尻昆布を使っていたんだけど、お店で羅臼のほうが味が濃いよって教わって。色も濃くなってしまうから懐石料理なんかには向かないけれど、自分が使うのは煮物や味噌汁だから。羅臼だと、だしをとった後も食べられるくらい柔らかいんだけど、これなら捨ててもいいかなと思うくらい、旨味を出し切っています」

旨味を出し切る方法とは、以前、旅をした岩手のおでん屋さんに教わった方法。

「そのおでん屋さんでは、朝、昆布を水に入れて弱火にかけて、1時間くらいかけて60度まで温めるんですって。そうすると昆布から完全に風味がだしに移るんです。そのあと鰹節を入れて10分くらいかけて80度までもっていって完成。家では温度計がないので正確に計ってはいませんが、だいたいこんな感じで味噌汁のだしをとります」

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料理人なだけあって、きちんとだしをとっているのはさすがです。とはいえ、前日、呑みすぎてしまったときや、時間がないときはだしプレッソを利用しているのだとか。

「だしプレッソは、料理人としても興味深い材料ですね。実はこないだ、この濃い風味を利用したら面白いんじゃないかと思って、餡掛けのお粥を作ってみたんです。だしプレッソを倍に煮詰めて、さらにやきつべのだしで追い鰹をするという贅沢なことをして、片栗粉でとろみをつけてお粥にかけてみた」

これも実は、『美味しんぼ』の影響。高濃度な鰹だしをとり、醤油で味を調えて吉野葛でとろみをつけた餡をお粥にのせるという、京都の瓢亭の朝粥のエピソードからのインスピレーションなのだそう。

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「これをリゾットにアレンジしてお店で出してみようかなとも思っています。『美味しんぼ』には、フランスのコンソメスープを礼賛し、日本の味噌汁をみすぼらしいという外国かぶれの人に、主人公が日本の昆布や鰹節の製造過程を見せて、その素晴らしさを伝えるというエピソードもあるんです。天然の鰹節に対する畏敬の念が表現されている。そんな鰹節の恩恵を無添加で、忙しい現代人にも届けてくれる商品ってすごい。だしは、日本の食文化の神髄だと思っています」

取材・文/藤井志織

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東京・富ヶ谷のワインバー〈アヒルストア〉店主。大学卒業後、設計事務所、弁当屋台〈スター食堂運営〉、ワインショップ〈トロワザムール〉勤務などを経て、2008年に妹の和歌子さんと〈アヒルストア〉をオープン。現在は母と弟も一緒に働いている。