YAIZU ZEMPACHI LETTER
蕎麦屋の前を通るとだしの香りが漂ってきて、思わずおなかを鳴らしてしまう。そんな体験をしたことがある人は多いのではないでしょうか。そこで今回は蕎麦とだしの関わりについてお話をうかがいたくて、静岡県浜松市の駅近くにある人気手打ち蕎麦屋〈naru〉へ。店主の石田貴齢さんさん曰く、「蕎麦屋といえば鰹だしですよ」とのこと。さてその心は?
蕎麦に必須なものといえば麺つゆ。そして麺つゆに欠かせないのが濃厚な鰹だしなのです。麺つゆは、かえしという調味料と鰹だしを合わせたもの。店や人によって配合は異なりますが、かえしはたいてい醤油、砂糖、みりんを合わせて作られています。
「江戸の蕎麦屋のかえしは、一斗二升三キロというのが基本の割合だと言われています。でも私にとっては甘すぎるので、砂糖3キロを2キロに変えてみたり、白ワインビネガーを加えてみたり、白ざらめの一部を水飴にしてみたり、いろいろと工夫して調整しながら作っています」
これを煮立てて冷ますのが"本返し"。醤油の香りを生かすために加熱しないのが"生返し"。
「うちでは"半返し"といって、途中まで火を入れてから1ヶ月半ほど寝かせて熟成させています。もしそれをお湯で割ったら、単なる甘い醤油みたいなもの。ところが鰹節を飽和状態まで入れてひいただしを合わせると、バランスが取れるんです。かえしの味が強いので、鰹だしはそれに負けないように、鰹節をたっぷり使って濃くとらなきゃいけないということですね」
鰹節は、以前は自分で薄削りにかいていたそうですが、お店が大盛況の今はそれでは間に合わない。かといって、削り節は使いたくない。ということで、今は粉砕された鰹節を使用しています。
「現実的な手間と納得できる香りのために、2年ものの枯れ節を粉砕したものを10分ほど煮出して使っています」
丸抜き(蕎麦の実)から石臼で自家製粉した蕎麦粉で、石田さんが毎日手打ちしている美しい蕎麦には、きりっとしたキレのよいツユがよく合っています。この鰹の豊かな香りをより感じられるのが、〈naru〉名物の豆乳蕎麦。
「オープン当初からの人気メニューなんですが、カプチーノのようにふわふわに泡立てた豆乳をのせているので、最後まで熱々です。豆乳と合わせることで、鰹だしの燻香がより引き立つような気がしますね」
また、蕎麦屋にとってだし推しはどんなメニューかと聞いてみたところ、「ぬき」だとのこと。
「通好みの究極のメニューです。あったかい蕎麦を食べるとすぐにお腹いっぱいになっちゃうから、まずは小盛りのつゆを頼むんですよ。それを"ぬき"と言います。例えば"天ぬき"を頼んで、それをつまみに酒を楽しんでから、〆に蕎麦を頼む。"鴨ぬき"もいいし、たぬきそばの"ぬき"なら天かすとつゆがつまみになる。鰹だしをアテに酒を呑むなんて粋ですよね」
お店はお昼も夜も営業しているので、店主夫妻は大忙し。
「時代劇とか時代小説に出てくるように、昔は街に何軒も蕎麦屋があって、ちょっとつまんで酒を呑むという居酒屋的な場所だったんですよ。だから蕎麦屋は気軽に呑むところと解釈して、うちではそんな大衆的な雰囲気を残していきたいんです。夜はハムカツまで出してますよ(笑)」
コロナ禍で外食がタブーだった時期を経て、「蕎麦屋でごはんを食べて幸せ」という気持ちをより大事にしたいと思うようになったそう。
「お酒を飲むのもいいし、夕食をとるのもいい。つまみを食べながらウーロン茶でもいいんです。うちは格式ばった店ではないけれど、しっかりとだしをとった、家では食べられない料理って外食のありがたさですよね。いろいろなお客さまに喜んでもらえる店という、いいお役目をいただいてるなと」
そんな石田さんに家庭でできるだし料理を教えていただきました。
「蕎麦屋のかえし感覚で使えるなと思ったのが、香る鰹だし醤油。これ、甘さもちょうどよくておいしかった。だし醤油にお酢を加えればポン酢になるし、梅を加えてもいいですね」
まずは鴨と葉わさびの和えものを。脂ののった鴨肉を、ほんのり辛い葉わさびや薬味でさっぱりと仕上げた一品です。
「鴨肉に塩を振ってから片栗粉をまぶし、5秒ほど湯通しします。赤みが残ってる状態で引き上げて、かるくキッチンペーパーで水けを拭いたら、香る鰹だし醤油と葉わさびを刻んだもの、葉わさびの醤油漬けを加えてざっと和えます。仕上げに貝割れ大根を加えてざっくり混ぜ、刻んだミョウガをのせれば完成」
さらに、トマト新玉サラダも。
「フルーツトマトなどの甘いトマトにはちみつドレッシングをかけて、その上にしっかりと水にさらした新玉ねぎと赤玉ねぎのスライス、木の芽を混ぜたものをのせ、削り節を飾るだけ。はちみつドレッシングは浜松産のはちみつに梅、二番だし、オリーブオイルを加えて混ぜたもの。混ぜながらお召し上がりください」
看板メニューのだし巻き卵は、ぜひお店で。するすると吸い込むように食べてしまうおいしさです。
「つまみを作るのも楽しいんですが、とにかく蕎麦が好き。死ぬまで打っていたいですね。蕎麦って蕎麦粉と水と打ち粉だけ。シンプルなだけに、毎日の天気とかちょっとした加減で変化するんです。征服したいと頑張りながらも、決してできない感じが楽しい」
石田さんの蕎麦への愛は、メニューブックに載っている「蕎麦の小話」や、店内のまるで祭りのような熱気からも、びしばしと伝わってきます。手打ち蕎麦は通信販売もしていますが、まずはぜひお店で食べていただきたいところ。焼津からもほど近いので、はしごツアーもおすすめです。
取材・文/藤井志織
プロフィール
naru店主 石田貴齢
いしだ・たかとし/静岡県出身。美術大学在学中に、ヒップホップグループ「四街道ネイチャー」を結成。大学を中退後、ファッションバイイングの仕事のために渡米。ニューヨークで入った蕎麦屋で日本食に感動し、帰国後、料理の道に。2008年、地元に戻って〈naru〉をオープン。ライヴや展覧会なども開催している。
http://www.narusoba.com/